まこぱるぴ

幼児との生活あれこれ https://twitter.com/mktysd192

ホリエモンが主張する結婚制度不要論について考えてみる

toyokeizai.net

「日本の結婚という制度は江戸時代に人が飢えないように田んぼを長男に継がせ続けたところに端を発するもので時代錯誤」

「そんな古いものに縛られず男も女も好きなように相手を変えて子供には好きなように資産配分すれば良い」

…とホリエモンの主張はザックリ言うとこんな感じだ

より正確に引用すると以下のようになる

男も女も、結婚せずとも好きな人と恋愛しまくり、たくさん子どもをつくればいい。女は自由に男を渡り歩き、経済力のある男はたくさん女性を囲って、子どもたちに財産を好きなように分け与えればいいのだ。

一見すると自由恋愛を拡張したもっともらしい主張にも見えるが、しかし思うに真の問題は結婚制度そのものではなく、人間がどうしようもなくワガママな生き物だというところにあるのではないだろうか

それはつまりどういうことか

早い話「結婚しようとしまいと自分は自由に恋愛したいし多様な遺伝子を少しでも残したいが相手の裏切りは許せない」「自分の血の通っている子供と通っていない子供とを(理性の上ではどうあれ)本能的には平等に愛せない」ということである

ホリエモンの主張通りに皆が皆「結婚なんてしない」「子供ができても好き好きに恋愛する」で当人らが満足なら大人同士は最悪それでいいのだが、問題は子供である

女性は妊娠するため母親が誰なのかは自明だが父親が誰なのかは判然としない

今でこそ遺伝子検査すれば分かる時代だが産後を待たなければならず、また費用負担もあり何よりまどろっこしい

「私が信じられないの!」という女性側の逆ギレ気味の主張は往々にしてクロであるというのは某ナントカちゃんねるで得た知見だが真偽の程は不明である

そして父親が誰かが分かった後も問題がある

父親が確定した後の問題は大きく分けて以下の3つ

1つ目は誰がどれだけ育児をするかという負担の問題

2つ目は父親と母親どちらが子供を引き取るかという親権の問題

3つ目は子供を育てる上で同じ屋根の下、誰と誰が暮らすのかという同居の問題だ

まず1つ目の負担の問題だが教育費を抜きにしても育児のコストはバカにならない

育児はとかく金銭面ばかりフォーカスされがちだが自身の経験からすると(金銭面でのコストそれ自体は当然に存在するのだが)肉体面・精神面における負担が尋常でなかったというのが率直な感想である

そして赤ちゃんは大人の手を100%借りなければ生きていけない無防備な存在だ

「好きに付き合い好きに別れたのだから赤ちゃんのことは知らない」では問題がある

父親側が逃げて(あるいは特定できず)仕方なしに母親側が育てるパターンは世に知られているが、その逆は寡聞にして聞かず

これではますます母親側がなし崩し的に育児を負担し疲弊するパターンが増えてしまう(だからこそホリエモンの主張にも「経済力のある男は」という枕詞が付くのかもしれないが)

育児にまつわる様々な負担は究極的にはベビーシッターを雇うことで(つまりアウトソーシングすることで)一応の解決は可能であるが、金銭的にそこまで負担できる人間は男女ともに非常に限られているのが実情だ

2つ目の問題である「父親と母親どちらが子供を引き取るか」という親権の問題は非常にナイーブなものである

理由が何であれ「別れよう」で親がお互いに納得したとしても子供の存在がある

どちらも子供を引き取らないというわけにはいかないし、子供側からの気持ちの問題もある

共同親権という方法もあるが、いずれにせよ父親か母親のどちらかが子供を引き取らなければならない

「どうせ別れるんだから」と事前に子供の引き取りについてまで決められるほどお互いが割り切っているならまだしも、しかし人間どうしても感情の生き物である

そして子供側からの感情的な問題もある

事前に取り決めたとしても泥沼化するのは避けられないだろう

これは結婚制度によらずともついて回る問題だ

2つ目の問題とも繋がりのある3つ目の同居についてだが、父親も母親も自由に出会いと別れを繰り返す内に「母親Aと父親Aの子と父親Bの子」のところに父親Cが現れるようなパターンが考えられる

(無論これはあくまで一例で母親と父親を入れ替えても良い)

こうした場合、母親Aと父親Cがどれほど仲睦まじくしていてもAAの子とABの子にとって父親Cはあくまで「他人」だ(法律上の婚姻関係を母親Aが父親Cと結ばない場合は尚更)

また父親CにとってもAAの子とABの子は自身の血が通っていないという意味でやはり「他人」である

もちろん里親制度は言うに及ばず世の中には自身の子でなくとも立派に育てる人間が存在するのは事実だが、度々世間を騒がせる(それも相当に痛ましい)ニュースを見ても多くの人にとって遺伝子上の繋がりの無い他者を自身の子と同様に育てることは(自身の子でさえ大変だというのに)非常に困難ではないだろうか

それこそ結婚制度に縛られていることに不満を感じる人が出来ることかといえば疑問が残るところである

つまりホリエモンの主張は「経済力のある母親または父親のもとベビーシッターを大量に雇い異なるパートナーとの間に産まれた子供を育てる」という前提がそもそも成り立つことが稀有なものなのだ

やはり誠実に生きるのが一番

歴史的経緯を見ても結婚制度そのものに時代錯誤な面があることは否めない

しかしホリエモンが主張するような男女の関係は子供という存在を考えると前提がそもそも成り立ちにくい特異な例だと言える

また、結婚制度を無視したり今とは別の優れた形にしたところで人間そのものがワガママな存在である以上、その制度や形を骨抜きにしてしまい別の問題を生み出してしまうのが人という存在であり業ではないだろうか

しかし一体全体なんで私はこんな記事を書いてるんだか…