タブレット教材とトイレトレーニングに潜む類似性と問題点
はい!
結局タブレット教材のスマイルゼミやめました!
無料お試し期間が切れる前日に子供が決断してくれました!
(よかった!)
最近になって絵の具やら工作やらプリキュアやら色々と本人がやりたい遊びが出てきていたので、親が誘導的にタブレット教材を子供の1日の中に(たとえ15分でも)ねじ込んでしまうのもなぁという思いもあり「(他にやりたいことあるし)タブレット返品しよっか」と子供に提案したところ、すんなり受け入れてくれました
いやぁ、かつてないほど清々しい気持ち
教材的な物は本人がやりたいタイミングで細切れにできる紙媒体のものを適宜メルカリで購入する形で充分かな
それも本来は無くてもいいもので自発的でなければ意味が無いというもの
奇しくも退会を決めた日の夜に保育士の須賀義一氏による興味深いツイートを見つけました
【子育て】トイレットトレーニングについて
— 保育士おとーちゃん/11刷出来「叱らなくていい子育て」PHP文庫 (@hoikushioto) 2021年6月12日
僕はこのトイレットトレーニングという子育ての考え方自体問題があると思っています。
子育ての早い段階で子育てする大人がこの過程を通らされることが、排泄の自立に限らないその後の様々な子育て上の問題を生みかねないとすら感じます。
見ての通りトイレトレーニングに関するものなんですが実は「トイレトレーニング」という発想そのものが子育て全般に共通する根深い問題に通じているという見解
こちらのツイート、ツリー形式になっていて最後まで読もうとすると正直かなり長いんですが声に出して読み上げてプリントアウトしてリビングの壁に貼り付けておく価値のある内容でした
要は「これはしつけだ」「正しいことだ」「親として子供が自分で出来るようになるまで教育すべきだ」ということが優先されるあまり、子供の主体性や自立、個別性のある心の発達の結果として発現する本人の成長というものが奪われてしまう弊害がある…と
(オムツにしても親が外すものではなく本人の心身の発達の結果として外れるものだとする見解)
いやぁ…反省反省
私も正直トイレトレーニングは「させて」いました
何せ健康に関することでただでさえ便秘がちなところに加えて膀胱炎にまでなると大変ですから…
(子供の便秘だけで病院に何度通ったことか…)
でもそれも優しく諭しつつも本人が失敗しながら学ぶのが本来理想の形なのかな
子供の主体性が主体性がといいつつ実際に子供の主体性が尊重されていることって稀も稀ですよね
今回のスマイルゼミにしても良かれと思って(何なら子供がタブレットで学習している間に親が楽できると思って)始めようとしていたので、ギリギリのところで方向転換できたのは幸いでした
このブログでも繰り返し書いていることですが5教科7科目がこの世の全てではないわけですよ
子供にとって今一番大切なのは教育的な内容を効率的に消化吸収することではなく、プリキュアであれ何であれ自分が心から好きなことを見つけて楽しむこと
無軌道な子供の相手をするのも楽ではありませんが、自分自身を振り返ってみても幼少期の遊びの中にこそ原点があるので、各種教材や習い事からは距離を取って子供と今を楽しもうと思います