まこぱるぴ

幼児との生活あれこれ https://twitter.com/mktysd192

幼児のタブレット学習も偏差値競争もあくまで暇つぶしコンテンツの1つ

幼稚園に行きたくないなら幼稚園だけが世界ではないことを証明しようというアラサー社会不適合おじさんですが、まぁ幼稚園に限らず学校なり会社なり普通に行けるならそれはそれでいいんですよ(むしろ社会的にはその方が好ましいわけで)

ただ学校なり何なりに行けないことを親や周囲が問題視するばかりに過度に追い詰めたり「自分はダメ」と負のイメージを本人が信じて萎縮してしまうのは避けたいところ

(普通の人が普通のことに使ってる時間に他のことができるんだから見方を変えればプラスですし、その場その場に合わせられないのは本人に独自の感性や世界観がある証拠)

で、私自身は平日朝から子供のズル休みにも付き合えはするんですが、そればかりというのも…正直疲れる(マジ)

東京やその周縁部には大人も子供も知らない世界がまだまだあって中々にワンダーランドではあるんですが、いやはや…

流石に親からの「自由にしろ」の一言でそのまま子供を野に放つのも問題があるので、行く場所はやはり吟味しますし必ず付き添うわけですがこれが結構大変

まぁ最近検討しているタブレット学習も所詮は暇つぶしの1つで子供が他に興味が移ればそれに集中してもらって良し

なので仮に申し込むとしても即やめられるプランにしなければと思案してるところなんですよねぇ

要は自分は何がしたいのか、子供が自走してくれるまでの間にその自走のための基礎基本を身につけてくれれば御の字で、偏差値競争それ自体は自由度MAXの人生コンテンツにおける1つの選択肢でしかないわけです(やってもいいけどハマると他の世界が見えなくなったり多感な時期に経験できたはずのことができなくなったりとデメリットも多め)

いつだったかリクルート大東文化大学やらの大学をカテゴリ分けして物議を醸しましたが、残念ながら分かりやすい指標というのは序列がハッキリしているだけにそこで勝負する中で下に見られてしまう的なことがあるのは世の常かもしれません

なので分が悪い勝負なんて端からしなくてもいいんですよ

たとえば足が遅いのに陸上部に所属して一生懸命やっても結果は見えてるわけで、そこで勝負し続けて「自分はダメだ」と思い込むようなものでナンセンス

何故か勉強だけは全員はじめから競争に参加してるかのような形を取りいまだ努力至上主義・努力万能主義が根強く信奉されているため、悩みながら漠然と進み続けてる人が多いのではないでしょうか

勉強は頭の良さや要領の良さの指標になるのかもしれませんが、生まれつきの要素もありますしそこで測れるのはあくまで極限られた範囲のものです

将棋の藤井聡太氏は間違いなく「頭が良い」人ですが、だからといって東大の入試問題が解けるかはまた別で、逆に東大生が藤井聡太氏に将棋に勝てるかといえばまず不可能でしょう

他にも人の懐に飛び込む力、面白い話ができる力、感動的な小説や物語を創り上げる力などなど、肝心なものほど中々数値では測れないものです

そして幼児教育やら偏差値以上に真に懸念すべきは…親は親でいつまでも子供の生活に24時間365日付き合い続けられないということ

個人差もありますが早ければ小学校4年生くらいで反抗期でしょう

子供としても親がずっと付きっきりはイヤでしょうし、親は親で子供と距離を取るべき時期というものがあるわけで(見守りはしますが)

そう考えるとタブレット学習は本当に幼児期における暇つぶしのコンテンツでしかなくて、むしろ親子の触れ合いをこそ大事にしたいところ…

疲れますけど