まこぱるぴ

幼児との生活あれこれ https://twitter.com/mktysd192

卒業式の練習という存在意義不明の謎の文化

そろそろ、というか後1ヶ月あるわけですが年度末ですね

「毎年この時期になると思い出す」という程では無いんですが、卒業式の練習なる謎の文化を時折思い出したりします

アレって一体なんなんでしょうね

入学式の練習します?

あるいは葬式の練習ってします?

葬儀屋さんからの各種アドバイスはあるにせよ、基本的にはしないでしょう

じゃあそもそも何故あんな練習をするかといえば、その形式を重んじることで悦に浸る人間(大人)がいるからで、子供たちの自由意思なんて最初から無視しているわけですよ

何も『卒業式やめろ』などという乱暴な主張ではなくて、別に練習しなくていいし卒業式そのものは誰でも合わせられるシンプルなものでいいし、参加したい人だけが参加してそもそも納得いかない人は練習も本番も参加しなくていい(卒業そのものは認められる)自由を広く認めるべきという話で…

いや本当に不思議でならない

およそ私が参加する「式」は葬式くらいですね

その葬式にしても故人の遺志で「式をするな」と言われれば外で独り静かに手を合わせるだけで、やはり式そのものに意味は無い派

時間の無駄遣い

虚礼廃止

論より証拠

花より団子

虚飾よりも実利

挨拶程度の「礼」は重んじますが世の中の風習のほとんどが本質的には無意味

とはいえ新幹線でリクライニングシート倒す前に後ろの人に確認するくらいはしますが(ホリエモンはその確認自体がムダで『そんな確認のために俺の時間を奪うな!勝手に倒せ!』とキレるそうですが…流石にそこまでではない)

オリンピックのバッハ会長の無駄に長い演説を日本人選手たちが最後まで律儀に聞いていたというのはこの手の虚礼を重んじる謎の教育によって洗脳されていることと無縁では無いでしょう

(んなスポーツ選手でもない名誉職の人間の中身の無い演説なんてもの無視して帰るのが本来「普通」の感覚なわけで)

入社式にしても拍手や御辞儀のタイミングを合わせることに終始して肝心なスピーチ内容が入ってこないなどという大企業病までありますし、川上から川下まで一体どこまでこんなことを続けるのか…

いい加減ホントの合理化・効率化に舵を切らないとどうにもならないというのに「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で飲み会を含めた謎文化がまた始まるんでしょう

嗚呼…

やんるぬかなやんぬるかな…