地元に帰って感じた都会と地元の違い〜カツカツ街とのほほん町〜
地元に帰ったというよりも正確にはついでで寄っただけなんですが、しばらく都会にいたせいか、実家周辺を歩くだけで都会と地元との違いみたいなものを強く感じましたね
都会と地元で時間の流れ方が違うんですよ
同じ1分1秒で1日は24時間のはずなのに
都会は「カツカツ」
地元は「のほほん」
私はこの「のほほん」が合ってるんだなぁと数十年の時を経て肌感覚で実感
地元が町として「のほほん」としていても母親や祖母の目に見えない力によって塾に無理矢理通わされたりして故郷の良さに気づけなかったのは少し悔やまれますね…
まぁ言っても仕方ないわけですが
皆が皆「のほほん」のまま生きられる社会であれば世の中どれほど平和なことか…
「カツカツ」なのは競争社会ゆえでしょうね
決められたタスクを短時間に確実に仕上げることが求められますから(それも大量に)
そうした意味で言うとコロナ禍前の平日朝の新宿駅西口はまさに「カツカツ」の極致
もうサラリーマンと公務員の朝のイライラが凝縮されていて、いつどこでケンカが始まるか分かったもんじゃない…
まぁ幸いにして私は巻き込まれることも見かけることもありませんでしたが
夜の新宿駅東口の方がまだ平和で、みんなリラックスして楽しみに来ている分それなりに大らかなんですよ
我慢を強いられているからこそ発散する場が必要とされて、その発散する場を提供する側もある種の我慢を強いられていて、その我慢をまた発散する別の場が求められて…
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なんだか人の業を見るかのよう…
上手く競争を避けたり競争そのものを楽しめればしめたものですが、現実にはストレスですり減ったりプレッシャーに押し潰される人もいるわけで…
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子供に何をどう伝えていくべきか色々と考えてしまいます
昔と違って生き方のモデルケースみたいなものが無くなってきてますからねぇ…
仮にそのモデルケースなるものになれてもまた別の不安は出てくるわけであゝ無常
やんぬるかな…
不安定な世の中だからこそその人々の不安を解消するための「答え」のようなものを与えるビジネスが予備校から宗教まで様々存在するわけですが、ハッキリ言って万人に存在する共通の「答え」なんてものは無いという平凡凡百な事実がそこにあるだけという…
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生き方のモデルケースが無い時代だからこそ世の親の多くが子供に対して保守的に塾やら英会話やらプログラミングやらSGDsやら云々やらせようとするのかもしれませんが、現実全てできる大人もそうはいないわけで、親が子供にあれこれやらせるより好きにさせればいいと思うのは「のほほん」町出身の私だからこその感覚…ではないはず