知識を授けるということにおいて公教育もとい学校教育は非常に非効率的
もとより学校教育なるものが効率的なら学習塾なんてものは存在しないはずで、中学受験だけでもSAPIXだの早稲田アカデミーだの四谷大塚だの日能研だの云々…
まぁ…こうした学習塾も今後も公教育とともに存在し続けるのでしょう
一部学習塾の効率的なカリキュラムは「効率的なインプット・アウトプット」という点で必ずしも否定しませんが、公教育は単に惰性で続けているだけの国民教育なわけで期待するだけ無理&無駄
先生方へのリスペクトはありますよ
生徒だけでなく同僚やら校長先生・教頭先生、PTAやら教育委員会やら地元地域社会やら様々ある中で多くの先生は「それでもやっていこう」としているわけですから
でも仕組みがね、どうにも時代錯誤
そしてそれを根本から変えるのは非常に困難で事実上不可能
できることは個々の家庭が既存の仕組みとどう距離を取るかだけ
10歳くらいで既存の道とは別の方向に舵を切った方が子供にとってもプラスじゃないかと思うのは私だけではないはず…
協調性とか社会性にしても、それ養えるのって休み時間中の遊びと放課後くらいでしょう
放課後は習い事で皆バラバラになって習い事の先でも私語禁止だの何だのルールで雁字搦めの中やらされてたら育つものも育たないというもの
いっそ休み時間に勉強してもらって普通の授業の時間に自由に遊べるなら行く意義もありますが、現実そこまでラジカルな改革をしてる学校は寡聞にして聞かず
自論ですが幼稚園はいいんですよ
3歳児が3歳児として扱われるのは3歳のときだけで、13歳になってら幼稚園なんて入れませんから(当たり前ですが)
歌を歌って踊りを踊って楽しく遊ぶ場なので幼稚園こそこだわりたい
しかし小学校は…なんだかもう行く意味がよう分からん…
読み書きと多少の足し算引き算くらい幼児で無理なくマスターできるわけで、一々「あいうえお」からはじめる理由も無いわけですよ
日常生活の中で無理なく教えられるでしょう…
しかしだかといって私立小学校に入れようと小学校受験をさせる気は無いですね
小学校受験に限らず受験というのはそもそも本人の適性みたいなものがありますが、本来本人の意思でもないのにお利口さんにさせて点つなぎだの展開図だの季節のアレコレの知識を対受験用に詰め込むとなると、幼少期の貴重な時間の大部分を割かなければならないわけです
幼少期は小学校受験のための準備期間ではなくむしろ幼児として遊んでいく中で自分がどういうものに心惹かれるかを本人が見つける期間だと私は考えています
そこに+αで「普通でない経験」を本人が望む形で叶えてあげれば花丸
都内や近郊に住んでいればゆりかもめ線もそんなに時間やお金をべらぼうに掛けなくても乗ることができますし、たとえば空港に行くのも良いかもしれませんね
別に飛行機そのものに乗らなくていいんですよ
見るだけ見るだけ
それでも子供にとってあの大きな機体は存在感ありますし離着陸の光景は長く心に残るものではないでしょうか
空港の無い県もありますが無いなら無いで「そこにしかないもの」に触れてもらえば御の字
目先の成績より経験
もとより超天才には努力では敵いませんから、その子がワクワクすることに気づいて取り組めて、概ね人間的に好かれるのであれば言うこと無し
友達だって多ければ良いって物でもなくて、むしろ大切なのは自分が大事にされて自分も人に優しく楽しむこと
要するに理不尽な環境を事前に(事後でもいいから)察知してそこからEscapeする胆力と行動力こそ大切なわけで誰かにとって都合のいい人間になる必要なんて本来無いわけですよ
なんというか教育というのがね、尽く一切の「無駄」を排して誰かにとっての『お利口さん量産システム』と化してるのがどうにも違和感ありますね
社会からすれば合わない人とも合わせて仕事に取り組める人を求めるんでしょうけど、んな合う人は合うし合わない人は合わないのが人間なのに無理に合わせるから矛盾が生じて心病むわけで…
世の中を見渡しても何から何まで完璧な人ばかりではなくて「だいたいのところ」でお互いやってるわけですし『業界の常識世間の非常識』というくらい隣を覗けば全くの別世界
好きにさせてハマる点を本人が見つけるのがベスト