贅を尽くした生活に潜む危険性
宝くじに当たった人の何割だったか(ソース失念)が10年後には借金生活をしていたりするように、贅を尽くした生活はかえって危険なのでは…
今日はそんな話を書いてみようと思います
極端な話もう毎日松阪牛を食べていたら吉野家なんて行けなくなるわけですよ
人生100年時代
いつ何が起きるか分からない不確実な世界で生きる以上、あまりに贅沢に浸かると(また浸かれる状況だと)普通の人にとっての普通が楽しめなくなってしまいます
一時期、毎日ホテルに泊まって生活することを夢想したことがありました
毎月36万円払えれば毎日都内の帝国ホテルに1人で泊まれるますし、倍の72万円払えれば家族3人でかなり質の高いホテル暮らしができます
(ホテル業界がこのようなプランを出したのはコロナ禍の数少ないポジティブな側面)
もっと上を見ると毎月99万円払えれば家具・ジム付きのホテルにも泊まれます
(でもそういうことをすると何かの拍子で生活レベルを下げざるを得ない時に心理面でのマイナスのインパクトが大き過ぎるし、子供にとっても将来的に暮らしにくい体質にしてしまうんじゃないかな…と心配性の私は考えてしまうのです)
ただ実際には悪いことばかりでなく、時間が浮いたりデザインや意匠に詳しくなれたり、何らかのインスピレーションやアイディアを得たり、建築の素晴らしさやサービス業の真髄のようなものが直に体験できたり色々なんですが、あまりにサービスが良いと受ける側のこちらの方としてもかえって畏まってしまって「まぁ、こういうのは来々生くらいでいいかな…」なんて思ったりしてしまいました
衣食住とはよく言ったもので、考えてみれば食事も衣類も(餓死レベルの飢餓や寒さを凌げない極端な薄着は問題ですが)本来は必要な栄養がとれていれば事足りますし、暑さ寒さに合わせて薄着や厚着に切り替えられれば事足りるはずです
…と、こんなことを書いている私も食事は大好きで何だかんだ色々こだわってしまうところがあり、そこを生きる活力にしているようなところさえあります
でも毎日毎食松阪牛なんて間違いなく健康を害しますし、結局こういうのは月イチくらいがちょうどいいのかもしれませんね