限界分譲地の可能性について考えてみる
ヤフー・ニュースにこんな記事がありました
何やら千葉県の限界分譲地が駅チカでも全く売れないんだとか
子育て世代からすると「狭いからイヤ」だの「スーパーにアクセスするのに車が必要だから駅チカでも結局不便」だの「小学校まで遠い上に道中にはガードレールも縁石も無く、安心して通学させられない」だの云々…
買い手がつかないのには理由があり、それなりの言い分もあるというお話
うーん、しかしねぇ
もう売り手も買い手も仲介業者もスケベ心捨てて生活困窮者に二束三文で売って充てがえばいいのにと思うんですよ
売り手からしても放置してムダに固定資産税だけ払い続けて建物が朽ちて解体費用も出せなくなる前に安く売って人に住んでもらう方がお得というもの
(建物って意外と人が住んでる方が保ちが良くて、無人の手付かずの状態になる方がかえって朽ちやすくなるんですよ)
電気料金値上がりといいマジで生活に困って家賃が払えない(けど生活保護も出ない)という人向けにタダ同然で明け渡せばそれだけで助かる人がいるわけで
この手の限界分譲地はたとえ安くても買い手がつかないなんて言われますが、買い手の側からしてみても「ねばならない」とか「○○が無いとダメ」とか思わなければいいんですよ
ガードレールや縁石の無い道路を歩かせて小学校に通わせるのが不安なら端から小学校に行かない選択肢もあるわけで
公立小学校・中学校に籍だけ置いておけば形の上では義務教育課程修了者になれます
通信からの高卒認定試験で高校も卒業できますし、望みさえすれば大学受験も可能なわけですよ
何も大卒で就職して新社会人として社会に出ることが全てではないわけで、当然他の道を選ぶも良し、子供の自由
こんな感じで見放されている限界分譲地でも常識を破れば道は拓けると思うんですよねぇ
売り手や業者が早く妥協さえすれば少なくとも生活困窮者の住処は確保できるのに非常に勿体無い
この場合主に懸念されるのは「子供が人との関わりが持てない」だとか「社会性が身につかない」だとか、そういうふんわりした内容になると思いますが、限界分譲地に人を集めて尚空きのある家を公園代わりにすればいいんですよ
屋内向けの滑り台やブランコやら使えそうな物をジモティーでかき集めて設置すれば結構楽しいんじゃないでしょうか
別にテレビゲームやネットでもいいわけで、平日昼間に学校通ってる子をよそに「屋内なんでもあり公園」と化した分譲住宅で遊んで過ごす子供というのも中々ドラマチック
また法的にアウトかセーフかはさておき、そんなに土地が余ってるなら雑木林を切り拓く感覚で公園を勝手に子供たちが自作したっていいわけで、その様子を動画にしてYou Tubeにアップロードするなんていうのも何だかワクワクしてきます
「でもここに住むにはスーパーに行くにしても車が必要で…車を持つのにもお金が要る」ということなら(各種宅配サービスが件の限界分譲地まで必需品を届けてくれるかにもよりますが)区画一帯でカーシェアリングをすれば解決できますし、Amazonやら業務用スーパーでまとめて皆で購入して割り勘すれば生活費も下げられるわけで、限界分譲地の生活もやり方次第でかなり楽しいものになるのではないでしょうか
今年一番の寒さだったけど予想より風が弱かったので登園した話
寒いですね
昨夜ベランダにバケツを置いて子供と一緒に水を入れておきましたが予想通り表面に氷ができていました
やはりと言いますか子供からすると寝てる間に水が氷に変わっているのが面白いらしく、今後も氷点下が予想される日に合わせて同じようなことをしていきたいなと
早朝に公園に行くことは叶いませんでしたが登園前に寄ることができたので良き良き
元々は休園するつもりだったんですが思ってた程の寒さではなく風も無風に近いくらい弱かったので「これなら登園できるな」と判断し公園で少し遊んでから幼稚園へ行ってきました
これに加えて園服とコートを着せて…
…
んー…着せ過ぎか?
と思って脱がせようとしたらイヤだイヤだで大騒ぎ
…
…まぁ幼稚園ではコートも園服も脱ぐのでいいでしょう
東京はとりあえず雪は降らなかったのが幸いですが、子供からすると少し寂しいので去年のように一度は積もるくらいには降ってほしいかなぁ
雪だるまくらいは作りたい
そういえば全く雪が降らない国の人たちからすると雪は「一度は見たい、触りたい、遊びたい」ものなんだとか
(日本人が北欧まで行ってオーロラを見たがるようなもの?)
コロナ禍以前はそうした外国人向けに一度空港から北関東に寄って雪やら山やら見て旅館に泊まって温泉に入って翌日は浅草に行ってついでに東京観光して空港へ行って帰るツアーが人気だったそうな
逆に雪に慣れたコアな雪ファン(?)からすると栃木の雪と富山の雪が違うだとかスキーをするときの滑り具合が変わるだとか何とかで単に雪が積もっていればいいというものでもないんだとか
私はスキーもスノーボードもしないので雪の違いまでは分かりませんが、子供と一緒に雪遊びできる環境に一度は連れて行ってあげたいなと思いました
ホリエモンが主張する結婚制度不要論について考えてみる
「日本の結婚という制度は江戸時代に人が飢えないように田んぼを長男に継がせ続けたところに端を発するもので時代錯誤」
「そんな古いものに縛られず男も女も好きなように相手を変えて子供には好きなように資産配分すれば良い」
…とホリエモンの主張はザックリ言うとこんな感じだ
より正確に引用すると以下のようになる
男も女も、結婚せずとも好きな人と恋愛しまくり、たくさん子どもをつくればいい。女は自由に男を渡り歩き、経済力のある男はたくさん女性を囲って、子どもたちに財産を好きなように分け与えればいいのだ。
一見すると自由恋愛を拡張したもっともらしい主張にも見えるが、しかし思うに真の問題は結婚制度そのものではなく、人間がどうしようもなくワガママな生き物だというところにあるのではないだろうか
それはつまりどういうことか
早い話「結婚しようとしまいと自分は自由に恋愛したいし多様な遺伝子を少しでも残したいが相手の裏切りは許せない」「自分の血の通っている子供と通っていない子供とを(理性の上ではどうあれ)本能的には平等に愛せない」ということである
ホリエモンの主張通りに皆が皆「結婚なんてしない」「子供ができても好き好きに恋愛する」で当人らが満足なら大人同士は最悪それでいいのだが、問題は子供である
女性は妊娠するため母親が誰なのかは自明だが父親が誰なのかは判然としない
今でこそ遺伝子検査すれば分かる時代だが産後を待たなければならず、また費用負担もあり何よりまどろっこしい
「私が信じられないの!」という女性側の逆ギレ気味の主張は往々にしてクロであるというのは某ナントカちゃんねるで得た知見だが真偽の程は不明である
そして父親が誰かが分かった後も問題がある
父親が確定した後の問題は大きく分けて以下の3つ
1つ目は誰がどれだけ育児をするかという負担の問題
2つ目は父親と母親どちらが子供を引き取るかという親権の問題
3つ目は子供を育てる上で同じ屋根の下、誰と誰が暮らすのかという同居の問題だ
まず1つ目の負担の問題だが教育費を抜きにしても育児のコストはバカにならない
育児はとかく金銭面ばかりフォーカスされがちだが自身の経験からすると(金銭面でのコストそれ自体は当然に存在するのだが)肉体面・精神面における負担が尋常でなかったというのが率直な感想である
そして赤ちゃんは大人の手を100%借りなければ生きていけない無防備な存在だ
「好きに付き合い好きに別れたのだから赤ちゃんのことは知らない」では問題がある
父親側が逃げて(あるいは特定できず)仕方なしに母親側が育てるパターンは世に知られているが、その逆は寡聞にして聞かず
これではますます母親側がなし崩し的に育児を負担し疲弊するパターンが増えてしまう(だからこそホリエモンの主張にも「経済力のある男は」という枕詞が付くのかもしれないが)
育児にまつわる様々な負担は究極的にはベビーシッターを雇うことで(つまりアウトソーシングすることで)一応の解決は可能であるが、金銭的にそこまで負担できる人間は男女ともに非常に限られているのが実情だ
2つ目の問題である「父親と母親どちらが子供を引き取るか」という親権の問題は非常にナイーブなものである
理由が何であれ「別れよう」で親がお互いに納得したとしても子供の存在がある
どちらも子供を引き取らないというわけにはいかないし、子供側からの気持ちの問題もある
共同親権という方法もあるが、いずれにせよ父親か母親のどちらかが子供を引き取らなければならない
「どうせ別れるんだから」と事前に子供の引き取りについてまで決められるほどお互いが割り切っているならまだしも、しかし人間どうしても感情の生き物である
そして子供側からの感情的な問題もある
事前に取り決めたとしても泥沼化するのは避けられないだろう
これは結婚制度によらずともついて回る問題だ
2つ目の問題とも繋がりのある3つ目の同居についてだが、父親も母親も自由に出会いと別れを繰り返す内に「母親Aと父親Aの子と父親Bの子」のところに父親Cが現れるようなパターンが考えられる
(無論これはあくまで一例で母親と父親を入れ替えても良い)
こうした場合、母親Aと父親Cがどれほど仲睦まじくしていてもAAの子とABの子にとって父親Cはあくまで「他人」だ(法律上の婚姻関係を母親Aが父親Cと結ばない場合は尚更)
また父親CにとってもAAの子とABの子は自身の血が通っていないという意味でやはり「他人」である
もちろん里親制度は言うに及ばず世の中には自身の子でなくとも立派に育てる人間が存在するのは事実だが、度々世間を騒がせる(それも相当に痛ましい)ニュースを見ても多くの人にとって遺伝子上の繋がりの無い他者を自身の子と同様に育てることは(自身の子でさえ大変だというのに)非常に困難ではないだろうか
それこそ結婚制度に縛られていることに不満を感じる人が出来ることかといえば疑問が残るところである
つまりホリエモンの主張は「経済力のある母親または父親のもとベビーシッターを大量に雇い異なるパートナーとの間に産まれた子供を育てる」という前提がそもそも成り立つことが稀有なものなのだ
やはり誠実に生きるのが一番
歴史的経緯を見ても結婚制度そのものに時代錯誤な面があることは否めない
しかしホリエモンが主張するような男女の関係は子供という存在を考えると前提がそもそも成り立ちにくい特異な例だと言える
また、結婚制度を無視したり今とは別の優れた形にしたところで人間そのものがワガママな存在である以上、その制度や形を骨抜きにしてしまい別の問題を生み出してしまうのが人という存在であり業ではないだろうか
しかし一体全体なんで私はこんな記事を書いてるんだか…
幼稚園登園前に子供と公園に行って遊んでみた
今朝は子供が珍しく早起きしたので幼稚園登園前に一緒に公園に行って遊んでみました
自作のボール(ぐしゃぐしゃにした折り紙を袋に詰めてガムテープを巻き付けたもの)を蹴ってご機嫌の様子
折り紙って安すぎると折りづらい上に手触り最悪なので相応の値段のものを買い与えるんですが、子供ってそういうものに限ってロクに折らずにぐしゃぐしゃにして捨ててしまうんですよね…
折り紙として再利用しようとしても新品でないとイヤがる(ワガママ過ぎる…)ので例によってガムテープを使って巨大なサッカーボールにしました
家の中で使う場合はガムテープを使い過ぎないよう注意
使い過ぎるとガムテープの硬さや重さで家の中の物を壊しかねません
外で何度も繰り返し使いたい場合はガムテープ多めでガチガチに巻きつけて使用後はアルコールスプレーで適当に消毒しておけば意外と長くキレイに使い続けられますが、基本的に部屋の中で何度か使って飽きたら1回だけ外で使ってそのままゴミ箱にシュートさせるのがベストだと思います
なかなかねぇ、親が工夫しても思うように屋外で遊んでくれないんですよ冬は
もちろん個人差はありますが
どうにも外よりは児童館的な場所で絵本を読んでもらうのが好きみたいで、まぁ親が良かれと思って寒空の下イヤがる子供を無理に連れ回してもなぁとの思いもあり、基本的に好きにさせてますがいかんせん運動不足
ボール遊びついでに冬の公園の面白さにも触れられたので良き良き
これが運動不足解消に役立てば尚良し
いわゆる球技などのスポーツでなくても「運動」はたとえ学校教育が終わっても健やかに生きる上で生涯必要なものなので楽しめる形で楽しんでほしいなと思いました
2023年1月25日(水)は大寒波
スマホでふと週間天気予報を見ていたんですが驚きました
1/25日(水)の東京の最高気温は5℃
最低気温はまさかの-3℃(氷点下)
水道管破裂を防ぐために庭の蛇口にタオルを巻いて上からバケツを被せる必要がある寒さです
霜柱はもちろん池の表面にも余裕で氷が張ることでしょう
ベランダにバケツを置いて子供と一緒に水を入れておけば起床後に氷の観察もできますね
それはいいんですがここまで寒いと流石に登園を取りやめて幼稚園を休ませたいところ
豪雪地帯に住む人からすれば噴飯物かもしれませんが、東京で氷点下の気温に対応するような子供用の防寒具はありません
…いやAmazonで注文すればあるんですが、年に一度あるか無いかというレベルの稀な寒さに対してサイズが変わる子供用のそれをわざわざ買って用意するかというと…
…NO
まぁ幼稚園は休んで家で過ごしましょう
台風に限らず寒波も含めて本来休むべき天候なら休むべきというものです
とはいえ普通に働きながらだと「じゃあ今日は○○だから休もうか」とも言えない事情もあり中々難しいところ
出社しなければできない仕事もありますし、テレワーク環境であっても子供を家の中で放置しながら仕事なんてわけにもいかないもんですから(子供が小さければなおさら)
…
こういう時じいじとばあばの手を借りたいんですよねぇ
諸行無常の世の中では賃貸最強
お題「みなさんは賃貸派ですか? 持ち家派ですか? 最近家を買ったのですが、家の間取りを見るのが好きでいろいろな家に住める賃貸も改めて魅力的だなと思いました。皆さんはどちらですか?」
私の場合、将来が分からない中で数千万円の借金をすることに抵抗があって基本的に賃貸派です
ただ、今住んでいる場所も以前住んでいた場所も「永住するならここかなぁ」と思えるくらい良い場所で、持ち家派の人の考えも理解できます
しかし(あくまで自論ですが)あらゆるものが目まぐるしく変化する世の中では戸建てでも分譲マンションでもなく賃貸こそが最強だと私は考えています
何より賃貸は自然災害に強いですからね
命さえあれば生活の立て直しも可能です
逆に持ち家となるとこれが難しい
半端に破壊されただけで形が残っているばかりに(保険に入っていても)補償が少なかったり借金だけが残ったり、他人に貸していれば建物や人命に対して責任が発生したりと懸案事項が多過ぎます
もっとも法律上の要件を満たしていれば免責事項ですが、それでも道義的な責任は免れませんし建物自体が事故物件化してしまいます
自然災害を抜きに考えてもやはり賃貸が最強
部屋の数を増やしたり減らしたり自由にできるのは土地が余ってる地方の戸建てだけで通常はまず不可能
親子が共に生活する時間というのも長いようで実際には短いもので、子供部屋なるものが必要なのは12歳から22歳までの10年間
子供が自立すれば子供部屋は必要なくなりますし、それに伴って親もまた必然ライフスタイルが変化します
子供部屋付きの家やマンションを結婚直後に買っても(実際にはリビングが子供部屋兼遊び場になるため)最初の12年間は持て余すわけですし子供部屋を有効に使えるのは35年ローンの内の10年間だけ
何よりサラリーマンの場合ヘタに住宅ローンを組むと「逃げられないだろう」とばかりに会社から無茶苦茶な転勤を命じられたりしがちですからね(まったく陰険なもんです)
もし家を買うなら老後にキャッシュでですかね
それもまぁ分かりませんが
健康には留意した上で老後のことは老後に考えましょう
終の棲家を買うのは後々でOK
東京を見てもファミリー向けの街もあれば学生向けの街・年輩者向けの街などがあるわけで、ライフステージごとに賃貸で住み替えるのがベストではないでしょうか
老後どこも貸してくれなかったら550万円狭小住宅を買いましょう
地元に帰って感じた都会と地元の違い〜カツカツ街とのほほん町〜
地元に帰ったというよりも正確にはついでで寄っただけなんですが、しばらく都会にいたせいか、実家周辺を歩くだけで都会と地元との違いみたいなものを強く感じましたね
都会と地元で時間の流れ方が違うんですよ
同じ1分1秒で1日は24時間のはずなのに
都会は「カツカツ」
地元は「のほほん」
私はこの「のほほん」が合ってるんだなぁと数十年の時を経て肌感覚で実感
地元が町として「のほほん」としていても母親や祖母の目に見えない力によって塾に無理矢理通わされたりして故郷の良さに気づけなかったのは少し悔やまれますね…
まぁ言っても仕方ないわけですが
皆が皆「のほほん」のまま生きられる社会であれば世の中どれほど平和なことか…
「カツカツ」なのは競争社会ゆえでしょうね
決められたタスクを短時間に確実に仕上げることが求められますから(それも大量に)
そうした意味で言うとコロナ禍前の平日朝の新宿駅西口はまさに「カツカツ」の極致
もうサラリーマンと公務員の朝のイライラが凝縮されていて、いつどこでケンカが始まるか分かったもんじゃない…
まぁ幸いにして私は巻き込まれることも見かけることもありませんでしたが
夜の新宿駅東口の方がまだ平和で、みんなリラックスして楽しみに来ている分それなりに大らかなんですよ
我慢を強いられているからこそ発散する場が必要とされて、その発散する場を提供する側もある種の我慢を強いられていて、その我慢をまた発散する別の場が求められて…
…
なんだか人の業を見るかのよう…
上手く競争を避けたり競争そのものを楽しめればしめたものですが、現実にはストレスですり減ったりプレッシャーに押し潰される人もいるわけで…
…
子供に何をどう伝えていくべきか色々と考えてしまいます
昔と違って生き方のモデルケースみたいなものが無くなってきてますからねぇ…
仮にそのモデルケースなるものになれてもまた別の不安は出てくるわけであゝ無常
やんぬるかな…
不安定な世の中だからこそその人々の不安を解消するための「答え」のようなものを与えるビジネスが予備校から宗教まで様々存在するわけですが、ハッキリ言って万人に存在する共通の「答え」なんてものは無いという平凡凡百な事実がそこにあるだけという…
…
生き方のモデルケースが無い時代だからこそ世の親の多くが子供に対して保守的に塾やら英会話やらプログラミングやらSGDsやら云々やらせようとするのかもしれませんが、現実全てできる大人もそうはいないわけで、親が子供にあれこれやらせるより好きにさせればいいと思うのは「のほほん」町出身の私だからこその感覚…ではないはず